神社などでのお供え物の増やし方

2023年11月10日

だいぶ前に、お加持(三密加持)について投稿しましたが、その原理について、再度お話しします。三密加持とは「絶対自力即絶対他力」、「絶対他力即絶対自力」と表現されますが、自力とは行者と衆生といった人間の力であり、絶対他力とは仏様の力、宇宙エネルギーの力をあらわしています。行者と衆生は、仏様・宇宙エネルギーと一体になる事で神秘の力が律動しはじめます。まず、身密(しんみつ)、口密(くみつ)、意密(いみつ)の三つを通じて、ご神仏と行者が平等となって交流する事で加持(与えると受け取る)感応が起こります。仏様と衆生が等しく同一である状態を「三味耶(さんまや)」と言います。もし、行者が不動明王を本尊として不動明王の印を結んでいるのであれば、その印が忿怒の形相となり、また行者が不動明王の真言陀羅尼を唱えたならば、その真言が不動明王の音声と化し、行者の意(こころ)は不動明王になる、と観念すれば行者の全身が明王の姿と同化するものです。つまり、本尊の身口意の三つが、行者の身口意の三つと平等となる事で、行者は本尊と同一となり、同じ力を持つ事になります。三密加持とは、行者や衆生の心身には本来持っている生きる力に、宇宙エネルギーである仏様の力が加被されて、人間の霊力と一致させるのです。お加持も同じ理論で「クライアントと行者と仏様」が一体となる事により、難病が治るのです。クライアントがお加持や行者や仏様を信じなければ、お加持は出来ないと言えます。

お寺や神社にお供え物をする人がいます。お寺や神社には、規模にもよりますが、多くの仏様や神様に加え、仏様や神様を補佐する「様々な種類の、多くの眷属」もいます。

例えば、源頼朝は神様になっていますが、頼朝を祀っている神社には多くの家臣がいます。神社やお寺でそのままお供えすれば、一部の仏様や神様にだけしかお供え物はいきわたりません。何故なら、上位の仏様(仏様の場合は上位下位はありませんが便宜的に使っています)や神様が召し上がられた物を、下位の仏様や神様や眷属は召し上がる事は出来ないからです。

仏様や神様や眷属は、「念の世界の存在」ですので、そこで「念の力でお供え物を増やし、関係者全員にいきわたるようにします。私は、故・松井光輪管長の超法輪で、お供え物の増やし方を教えて頂きました。

お供え物を増やす方法は、お供え物全体をイメージして増やしても良いですし、個々のお供え物をイメージして増やしてもいいと思います。例えば、仏様に「お茶とお饅頭」をお供えするとしたら、お茶とお饅頭をイメージし、そして、どうぞ召し上がってくださいと、必用な数だけ念じて(できれば増えた状態をイメージして)増やします。

普通は、20倍位に増やせばいいと思いますが、豊川稲荷東京別院などでは、仏様と眷属の数が多いので、数十倍~数百倍位増やす事が必要と言えます。増やす数が分からなければ、「いらっしゃる数だけいきわたるように増えよ」と唱え、倍々ゲームのようにイメージして増やします。出来るだけ必要な個数、増やすように念じます。

何故なら、余計に増やすと、招かれざる客を呼んでしまうことに繋がってしまうからです。お供えしたものは、参拝が終わったら、頃合いを見て持って帰ります。そのままにしておくと無縁仏などが群がったりするからです。

念で増やすという事を、信じられない人が多いと思いますが、念の世界のモノ達は、本当においしそうに召し上がります。一般的には、仏様にお供えする物と神様にお供えする物は決められています。しかし、ご神仏は何でも召し上がります。ですので、たまには私達が飲み食いしている、おいしいと思うものをお供えすれば喜ばれます。

お供え物を念力で増やす事は、結界を張る事と似ています。真言宗には「護身法」と言って、5種類の印を結び、それぞれの真言を唱え、結界を結びます。その時にも、結界が張られている状態を強くイメージして念じ、結界を張ります。

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