人生の目的について(何の為に生きているのか)(2)

2023年9月1日

イエス・キリスト様は大変神格の高い宇宙神です。この事を信じられるキリスト教徒は少ないと思いますが、それが真実です。勿論、マリア様も同様に宇宙神です。宇宙を管理されている仏様達ともよくコンタクトされているそうです(特に、阿弥陀如来様と関係が深いそうです)。イエス・キリスト様は、これまでの歴史をみて次のように言われています。『私の説いたことには、どんな小さな言葉にも意味があります。所謂、比喩(ひゆ)の形で説いたつもりである。それを極端に解釈しだし、人はそれすらも忘れてしまう。歴史上、悲しい出来事が頻繁に起きたことについては、私が代わってあやまりたい』と言っています。『「右の頬をぶたれれば、左の頬を差し出す精神」という比喩は、「決して人と争ってはいけない。ましてや、国同士で争ってはいけない」という事が真意です。』と。私は、これはキリスト教だけの問題ではなく、イスラム教や他の宗教に共通の問題だと思っています。代々、キリスト教やイスラム教などを指導してきた「指導者の問題」だと思います。キリスト教につきましては、今将に「ロシアとウクライナで戦争」をしています。お互いが、キリスト教国です。イスラム教の国でも、アフガニスタンやイランなどで問題が起こっています。こうした問題を防ぐ為にどうすべきかという事になりますが、私は「キリスト様やアラーの神様などと、直接話が出来る人を指導者のトップにするか、重要な位置づけで顧問にするかしかない」と思っています。

人生の目的について正しく書かれた書は私の知る限り過去に1冊だけありました。それは既述の故・在藤泰秀さんが書かれた「電波センサー」という書です。そこには「神は人間を創る時、神にも仏にもなれるが、地獄にも堕ちるように流動的なものとして人間を創造され、この世を修行の場として与えられたとしか考えられないのである」と書かれています。

試練を経験するために生まれる、修行のために生まれる、となると、つらい思いをすることが前提で生まれてくることになります。「慈愛そのもの」の創造主(宇宙大生命)は、人間にも動物にも植物にも、すべてのものに深くて温かい包みこむような愛情を注いでいます。その創造主が、「さあ、つらい思いをしに地上へ行きなさい」と言うのか?と疑問でした。

『人間は「たくさんの感動をして、魂を震わせるために生まれる」という言い方をする人も居ます(著名な霊能者です)。その方は「地上で素敵な感動をいっぱいして、魂を豊かにして、戻ってきなさい・・・と。試練を乗り越えるために、修行でつらい思いをするために、生まれてくるのではない」と私は思います』と言っています。

更に、『じゃあ、試練は何なのか?これは私たちが「自分で」、生まれるにあたって、つまり生まれることが決定してから、このカルマ(過去世の行いから生じた因縁・試練)を解消しよう、ここでこういう試練を乗り越えてみよう、ここでこういう魂の勉強をしよう、と計画したことなのです。

霊格を向上させたい、という思いからですが、試練によってつらい経験をすると、人間の幅が広がります。すると、それまでは浅い、わかりやすい感動しか得られなかったのが、奥の深い、質の高い感動もわかるようになります。あちらの世界に持って帰る感動がより多くなります』と言っています。

私は、この方のご意見(生まれる前に計画した計画に従いという)は間違っていると思います(霊格を向上させたい・・はその通りです)。何故なら、自分で計画した事(殆どの人は、この世に転生してくる時に、この世での人生の計画書を作ります)はこの世に誕生する時に忘却するからです。

ですので、そうではなく、基本的には全ては因果律に基づく人生ですが、時には創造主のお計らいもある人生だと思っています(宇宙大生命は、全ての人間が今世で何をするべきかをご存じです)。即ち、創造主(宇宙大生命)は、全ての人生を管理されており、必要に応じて現世の体験をさせ(修行、試練、学習など)、魂を磨かせる事もあります。

だから、その人が出来ないような難しい試練は与えないのです。ただ、宇宙大生命のお計らいにもかかわらず、宇宙大生命の意にそぐわない人生を送る人も多くいます。何故なら、人間には自由意志が与えられているからです。

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