2024年1月15日
大元の神様(宇宙大生命)は、全てを陰と陽に分け、宇宙を構成する五元素(空、風、火、水、地)を作り、宇宙を作っていきました。全てを陰と陽に分けるという事は、あらゆることを相反する二つに分けたと言えます。これらは「善(仏様)と悪(悪魔)、因果の法則(善因善果、悪因悪果)、正と負、プラスとマイナス、光と闇、吉と凶、幸せと不幸、など」人生をみれば多くの相反するものがある事が分かります。人生は「全てがバランスが取れた状態を良しと考えるべき」と言えます。例えば、人間は「善の心=又は正の心と悪の心=又は負の心」を持っています。善と悪のバランスが取れた状態が普通の人間です。ところが、私達には絶えず仏様と悪魔が作用しようとしているのです。仏様は善の心を強くしようとし、悪魔は悪の心を強くしようとしているのです。悪魔は、大変巧妙に私達に取り入ってきますので、悪魔に取り憑かれても分からない人が大勢います。
例えば、アメリカのマスコミは悪魔の影響を大きく受けて居ると言われています。この投稿はこれ迄何回かしていますが、深刻な状況なのでここでもお話しします。著名な霊能者で、ご神仏(主として神様)との対話を書いた本を20冊以上出している人が悪魔に取り憑かれました。多くの神々がその人を悪魔から救いたいと思っていますが(これ迄、神々の言葉を衆生に伝えてくれて来たので神々は感謝しているのです)、悪魔に取り憑かれた人には神様の言葉が届かないので神様達にはどうする事も出来ない状況です。神々は、何人かの霊能者に「何とかその人を救ってほしい」とお願いしています。この人は、昔は介護の仕事をされており、厳しい生活をされていました。ところが、本を出すたびに売れてお金に不自由のない状態になりました。そうした状態になり、多分悪魔に取り入られる様な「スキ(その人の中に、我欲もあったと思います)」が出来たのだと思います。人生には、良い時もあれば悪い時もあります(全てに二面性が有るのですから)。ですので、私達は我欲を持たず、あまり様々な事に執着しすぎず、正しい心を持って、淡々と一生懸命人生を生きる事が大切と言えます。
最近では、家族葬などのなるべく簡素な葬儀をしたいと思う人が増えて居ます。中には、葬儀やお通夜もせずに、遺体を火葬場に直送する人達も増えて居るようです(直葬=火葬式)。直葬は、費用が極端に抑えられ、手間暇もかかりませんが、故人を物として扱っている感じがし、故人に対する思いがひとかけらも感じられない行為であり、やりきれない感じがします。
先の能登半島の大地震では多くの方々が亡くなりましたが、救援隊の方々が非常に厳しい環境の中、一人の方でも助け出したいという思いで必死で活動されていました。命(性格には生)はそれだけ大切だと多くの人は思っていますが、一方では故人を厄介ごとの様に安易に処分する事はいたたまれない気持ちがします。
特に、親子のような恩を受けた人の場合には、人間として一番大事な「報恩の心」が全くない事になり。人間失格と言われても仕方がないと思いますし、そうした人はまっとうな人生は得られないし、まっとうな社会人にはなれないと思います。
葬儀や法要での読経にはどういう意味があるのでしょうか。読経も、お坊さんに依頼せずに、自分たちでお経を上げたり、CDでお経を流したりする人もいます。何故、僧侶による読経が必要なのでしょうか。
実は、あの世は「念の世界」ですので、法力を持った僧侶でないと供養が通らない事になる可能性があるのです。念が通らないと、幾ら供養しても駄目なのです。この事に関しては著名な霊能者のS子さんが、「僧侶のお経がどれだけ効果があるか」という事を確認しています(大きなお寺にお願いし、僧侶たちの読経をCDに収録して、読経のもたらす力を確認しているのです)。
何しろ、「僧侶の読経は凄いパワーがある」と言っています。ですので、死者や先祖の供養に、より効果があるのです。
また、供養における最も大事な事は、「家族の方々の真心ある供養」なのです。僧侶に供養をお願いした場合に、僧侶が読経している時に家族はその場を外し、読経が終わりそうな時にその場に来る家もあります。そして、終われば、お茶を出して僧侶にお礼を言います。
しかし、僧侶はお金を頂き、職業上読経して供養しますが、真心がこもっていない事もあります。故人が最も望んでいる事は「家族による愛情ある供養をしてもらう事、真心を送ってもらう事」なのです。それにより、故人は安心し、喜び、供養されるのです。従って、供養の場における主役は家族であり、僧侶が読経する時には、必ず後ろに控えていて、一生懸命心を送ってやることが大事なのです。
これは、今は仏界に行かれている、故・松井光輪管長にお聞きした事ですが、あの世の人達が聞きたいお経があるそうです。松井光輪仏があの世の人達に聞いたところによると「一番聞きたいお経は理趣経であり、次に聞きたいお経は観音経」だそうです。その理由は聞いていませんので不明です。
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