トイレの仏様

2023年10月30日

命とは何でしょうか。命とは神(宇宙大生命)により与えられたものです。その命に「生」を与えるものは、神のみ力、お仕組みによります。生とは現界(この世)の状態であり、命とは無限に続く「魂」の事です。「魂は永遠である。心するように!」とは地蔵菩薩様のお言葉です。私達は肉体が生きていると思っており、それが命であると考えていると思いますが、それは「生」であり、「命」と「生」とは異なるものである、という事なのです。その事を素直に信じられる人はいないとおもいますが、植物や木や人間以外の動物や昆虫や鳥類や魚類などは生きていますが魂は持っていないのです。魂が命ですので、これらは命を持っていないが生きているという事になります。

肉体が機能しなくなると「生が尽きる」という事になりますが、命は魂の事ですので肉体が死滅しても魂(命)は残るのです。ですから、人間は(人間の魂は=命は)この世に生を持つ事もあれば、死としてあの世に帰る事もあるという事です。一つ一つの命と魂は、やらなければいけないみ役が定められており、命の続く限り、それぞれの勤めを果していかなければならないのです。生は、人の肉体をもってこの世で行を積むが、死はこの世での肉体の終わりであり、あの世では霊魂になります。しかし、その命や魂であっても、終わる時が来ることもあります。それは、神のご意思、ご意図にそぐわず、神のみ光をもってしても、浄まらず、曇りを消せぬ迄にその命や魂が穢れた時です。その時は、神は自らの仕組みにより、その命を消されるのです。これは、めったにない事ですが、人間に対する究極の「罰」であり、魂が永遠に宇宙から消されるという事です。具体的に言えば、プーチンは、その可能性が有ると言えます。

昔から「トイレには、「鳥枢沙摩明王様がいらっしゃる」と言われてきましたが、本当にいます。私達のあらゆることにご神仏、特に神様、は関係しています。例えば、火=かまど、の神様は荒神様です。水神様もおり、家の水を守ってくれています。私は、荒神様と水神様には毎朝お参りしています。

トイレは大便や小便をする場所、即ち「穢れものを排出する場所」であり、「禊」と同じ意味があります。不要なものは、排出しなければなりません。禊もトイレも、水で穢れを浄めるのは同じです。昔と違い、今は排出物を直ぐに水で流せるようになっていますので、便利な時代と言えます。

鳥枢沙摩明王様は、便が醸し出す穢れを浄める事が出来ます。従って、昔は、便を溜めていましたので、穢れを浄める為に鳥枢沙摩明王様が必要でした。トイレを汚したままでいると、穢れが残っている事になりますので、運気を乱すことになります。今でも、鳥枢沙摩明王様は見張ってくれていますが、やはりトイレ掃除は大事なのです。

トイレとは、「我が身そのもの」とも言えます。普段から掃除しておくことにより、「運気低迷を阻止したり、運気をアップさせることになったり」するのです。日々、穢れを浄める為の重要なスポットですので、掃除をせずにそのまま使いすぎると、その気を浴びたままになります。

トイレは、自分自身の鏡と言えますので、大事に使う必要があります。用を済ませた後水で流したとしても、多少の汚れは付いていますので、トイレの蓋は閉じておいた方が、汚れの気が外に漏れないので、賢明と言えます。

トイレをきれいにしていれば(ご神仏は汚れを嫌います)、幸せのパワーのオーラをまとう事が出来ます。トイレには、他の数柱の神様もいらっしゃいます。鳥枢沙摩明王様は2014年に「色々と神々を指導するお役目を頂いた」と言っています。

鳥枢沙摩明王様は、炎の功徳で穢れを焼き尽くすと言われており、トイレを清浄な場所にしてくださる有難き仏様です。お迎えする為には、トイレを徹底的に綺麗にし、お線香でトイレ内を清め、4隅に塩を盛り、3日間位お祈りします。

トイレに対する思いが変わってきた人も増え、それが大きな変化になり、魔が立ち寄りにくくなっています。日本中がそうなればいいのですが。トイレは、魔が入りやすい場所の一つです。換気を良くし、いつもきれいにしておくことが大事です。魔は、綺麗なところには近寄りがたいのです。

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